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  奮 闘 記  



その2
平成22年 山王神社 秋の大祭「浦上くんち」


プロローグ
 平成22年5月17日 それはまたまた私の携帯から始まりました。
相手はお弟子さんのお母さん。 内容はお弟子さんのお祖母さんになられる方が長崎市内の御船蔵町というところに住んでおられて、その町が今年、片足鳥居で有名な山王神社で行われる秋の大祭「浦上くんち」の踊り町の当番で、当流派に参加してもらえないか?・・・という問い合わせでした。
実はこの時点で、つい1週間ほど前にお弟子さんを一人、コロムビアのコンクールに出す!という決断をしたばかりで、しかも今年はすでにかなりの舞台を抱える予定。
正直「厳しい・・・」という思いがよぎりました。  しかし、そんな思いとは裏腹に私の中で「山王神社」という言葉が強く響いておりました。

偶然の縁?
 私の中に強く響く原因。それは山王神社が坂本町にあるということ。 そしてその坂本町こそ先々代、つまり初代宗家 筒井 勝風が戦後韓国から帰国し、当時の日本の状況を憂い有志と共に今の当流派の前身である「日本吟詠会」を発足した場所なのでした。しかも町並みは変わり、その原点となった場所自体は今はコンビニになっていますが、山王神社からは目と鼻の先、将にお膝元という言葉にふさわしいくらいに間近なのです。
私は当然60年も前の発足当時のことなど知るはずもなく、それどころか初代宗家と直接の面識もありません。 ですから流派の創立当初のことは全くと言っていいほど知りません。
にもかかわらず当時の人間は誰一人おらず、全てが一新された現体制がちょうど丸1年たつときに原点である場所で舞台に立つ・・・・
常々せめて一度は会い、話がしたかったと思い続ける初代が居たであろう場所に、同じ流派の「宗家」という立場で・・・
私はオカルトに全く興味がありませんが、それでもこの時は何かしら不思議な縁というか、宿命というか・・・
とにかく見えない何かしらの力によって原点である地に引き寄せられるものを感じました。 そして同時にこの「宿命」に正面から向かい合うことこそが、今の私の務めなのではないのか?とも・・・
 
小屋入り、そしてスタート
 せっかく頂戴した舞台。そして何より原点であるということ。 喜んで・・いや、むしろ謹んでお受けすることにしました。
当初出演時間は5分程度とのことでしたので、絶句を2曲?もしくは律詩を1曲?と考えておりましたが、この「予定」というのがかなりあやふやなものでしたので、何も決めることが出来ないまま6月1日の「小屋入り」を迎えました。
「小屋入り」は神社でお祓いを受け、この日から本番に向けお稽古を始めます!というもので・・・すが!、この段階でもほとんど何も分からない状態で、この小屋入りの後でやっと町の人たちとの初めての打ち合わせとなりました。



この日初めて知りましたが、御船蔵町からは私どもの他に2組、民謡とカラオケの出演があり、全部の演目にかかる所要時間が1時間・・・えっ?1時間!?(゜_゜)
1時間は60分、そして私たちが5分?・・60分あって5分?  3組の出演で私たちが5分?  5分・・・たった5分?
こらこら(−−〆)
そりゃあ確かに私たちは新参ですし、代表は30代、演者も小学生ですが舐められちゃ困ります。 で、3組の代表で打ち合わせとなり、時間配分の話になりましたので、「どれほど必要ですか?」との問いに思い切り当初の予定の4倍「20分頂きます!!」と提案した・・・というより言い切りました。
その結果この提案は意外にあっさりと通り、私たちには20分の持ち時間が頂けることになりましたが、結果的にこれは私自身の首を絞めることになりました。

困惑の選択
 持ち時間が決定したことにより、どれくらいの曲数が可能かということはわかりましたが、限られた人数、そしてすでにいくつかの舞台を控えているお弟子さんたちに約4ヵ月という期間でいったいどれほどを望めるのか?正直構成には頭を痛めました。 せっかくの舞台である以上、恥ずかしくないものでなくてはならない。しかしそれが単純にお弟子さんたちにとって負担にしかならなければ良い舞台など出来るはずもない。 だからといって曲数を減らせば持ち時間を余らせる。 しかし原点の場所で1・2曲で終わるのはあまりにも寂しい。  ならばどうすれば内容のあるしっかりとした舞台を作れるのか? 
ひたすら悩み続けた結果、現在進行形でお稽古をしている、もしくは今年すでに身に付けた振り付けを3曲、これから新しく作る2曲、計5曲の絶句で臨むことになりました。
そして次は選曲ですが、この時、私にとって大きな支えとなったのが、ちょうど浦上くんちに向けた動きと時期を同じくして6月2日に発足した「勝風神刀流剣武術 詩吟部」の存在でした。
この詩吟部には独自の教本があり、その1番目が石川丈山作の「富士山」でした。 浦上くんちで披露するのは奉納踊り。ならば神前で日本の象徴である「富士山」を舞うのはむしろ理想的です。 剣武部の振り付けに「富士山」はありませんでしたが、振り付けさえ私が作れば詩吟部の地吟で剣武部との共演が可能です。 この思いは私の中で大きな希望となりました。
そして新規作成の残り1曲は来年度のコンクールも見越して、また剣舞奉納ですからこれも理想的ということで「日本刀」を選びました。
更に、私どもは限られた人数ですので、5曲を淡々と演じても、面白味もありませんし飽きられてしまいます。 何かしらの演出が必要と思い、今まで挑戦したことがありませんでしたが、演目ごとに衣装を替えてみることにしました。 これもかなりの無理難題です。 5曲すべて絶句ですので1曲あたり約2分半、その間に最大で2人分の衣装全て(道着、袴、角帯、袴下、白帯、襷、鉢巻)を着せ変えなくてはいけません。
曲数5曲、早着替えの演出あり!  この無謀とも思える私の演出は、この後のお稽古を厳しいものとしました。

全てが「挑戦」
 こうして始まったお稽古。一部他の予定とも併行して進められました。
剣武部は現行の振り付けの確認。さらに新しく加わる振り付けの習得。 しかもこの新しい分はこれまでやったことが無い「群舞」です。それぞれの振り付け、立ち位置、移動、間隔・・・これまで経験のないものまで加わるため今までのもの以上に覚えるだけでも大変だったでしょう。 そして今回一緒に参加することになった詩吟部にも当然普段のカリキュラムとは別に出演予定の5曲を本番までに覚えてもらわなければならず、しかも吟ずる間に早着替えも行ってもらうため衣装に関する技術の習得も必要となりました。
そんな「挑戦」ともいえるお稽古に更に追い打ちをかけたのが今年の夏の暑さでした。
お稽古自体は普段の2倍。場所も通常使用する大手町公民館と、私がお稽古で使用する式見荘の2カ所で行いました。 大手町公民館は空調設備が整い冷房ももちろん使用可能でしたが、ここでは参加するメンバーが全員揃わないため「流れ」を意識した通し稽古が出来ず、演目を単独で行うことしかできません。 そうなると式見荘で通し!ということになりますが、確かにここではメンバーが揃うので可能ですが、よりによって空調が故障し冷房がほとんど効かない状態に。 しかも今年の夏は異常に暑かった! 普通に動くだけでも汗が出るのに、通しになると約15分間ずっと舞うか吟ずるか動くか・・・  とにかくみんな汗だくになって頑張りました。
剣武部は振り付けの多さ。 詩吟部も発足したばかりでの重荷。 慣れない衣装をしかも早着替え・・・
初めの頃はスムーズに進まず、振り付けも間違えたり、予定の時間も大きくオーバーしたりもしました。ほとんど私の我儘で作ってしまったスケジュールはみんなに大きな負担としてのしかかったと思います。 それでもみんな文句も言わず、大粒の汗をかきながら必死に頑張ってくれました。



その後いろんな調整も加え、そしてそれ以上にみんなの努力が確かな力となって身につき始め、夏休みも終わり、本番まで残すところ1か月ほどになると、あれほどオーバーしていた時間もむしろ余裕が出始め、舞いも吟も見ていて安心できるほどに安定してきました。 絶え間ない精進が実を結びつつありました。

一致団結!
 季節も秋に移ろうとする頃・・・お稽古は一定の進展を見せる一方で相変わらず町の方からは何の音沙汰もなく、私自身お弟子さんたちの成長が喜ばしく思える半面、何も進展しない裏方や、本気でお稽古に取り組む私どもとの温度差のような対応にちょっとモヤモヤとしておりました。(ちょっとというより、かなり)
そんなこともあり、むしろ流派の中では意気消沈するどころか逆に盛り上がりを見せ、「三木組」や「舞踏派というより武闘派」という言葉が生まれたり、さらにオリジナルTシャツも作ろう!という声も出るなど本番に向けみんなが一致団結していくようでした。

浦上くんち本番!
 前日に会場の下見を済ませ、いよいよ迎えた本番当日! 数日前の予報までは微妙だった天気も見事な日本晴れ! 新体制になって屋外で舞台というのも初めてでしたが、最高です。
会場には第1陣、第2陣と二手に分かれ入りましたが、相変わらず町には振り回され気味(−−;  
でもここまできたら後は自分たちの責任を果たすだけ! モヤッとしてもそれを舞台に対するエネルギーに変えることが出来る強さをみんな持ってます。
最初の出番は3時から!(二転三転しましたが・・・) 直前に全員で神社でお祓いを受け、いよいよ舞台です!!



舞台裏に集まり出番を待ちます。 やはりおのずと緊張感も高まります。



そしてとうとう出番です!  全員で舞台に立ち挨拶(よりによって私が挨拶で噛んでしまいましたが・・・)



当初、観客がどれほど集まるのか?という心配もありましたが、実際はかなりの数が舞台前に陣取り、会場の雰囲気もバッチリです。 そんな中いよいよ演舞がスタート!
いざ始まってみると、舞い手は初めての場所にも関わらず安定感を見せ、ほぼノーミス状態! 詩吟部も事前のマイクテストもないのに、すでに合わせていたかのようにしっかり場に合った吟です! 当初はあれほど苦戦していた衣装も、実際のところ進行に全く支障を期さない・・むしろ余裕すらある手際で舞い手を舞台に送り出す!
自画自賛の形になりますが、この時ほど自分の流派のみんなが強く、立派に、そして頼もしく思えたことはありません。
これが今の勝風神刀流剣武術! 
60年の時を経て、新しく生まれた新生の一門なんです!!

初代!!、先代!!。 見てくれてますか!
あなたたちが創り、育て、守ってきたものが、今ここでしっかりと新しい世代に引き継がれてます!
私の心は奮えました・・・

細田 祥佳「書懐」


吉田 ひかる「白虎隊」


細田 愛琴「白虎隊」


「白虎隊」


細田 祥佳「廬山の瀑布を望む」


群舞「日本刀」


群舞「富士山」


この日が初舞台の詩吟部


予定の演目が終わった後も、会場からは「ショモ〜ヤ〜レ〜!」の声が上がり、有難いことにもう一曲舞うこともできました。
所望の曲も終え、舞台裏に戻った時のあの安堵感・・・ここまでの努力が報われた瞬間。  努力したからこその達成感。  みんの顔に自然と浮かぶ笑顔は、やり遂げた者にのみ与えられるささやかな至福の時・・・
出番が終わった後も応援して下さった方々に囲まれ、さらにもうひと盛り上がり。 写真を撮ったり、お花をいただいたり・・・そこかしこに笑顔、笑顔、笑顔。  これもみんなが一生懸命やったからこそですね。



いつか「そこ」に・・・
 私どもの流派に「三位一体」という言葉があります。 これは演者・吟者・観覧者の三者が舞台を通して一体となることで、剣武道における目標の一つです。 初代と先代はそれぞれ一度だけ、私はまだその高みの経験はありませんが、今回、一門のなかに苦労を共にする剣士(演者)と詩吟部(吟者)が居て、そして舞台を盛り上げてくれる仲間(観覧者)が居てくれる・・・  それが今日という日を結実させた・・・  まだまだ「三位一体」の高みは遥か先かもしれませんが、みんなとならいつか「そこ」に辿りつけるのではないか・・・  そんな淡い期待が垣間見えた瞬間でした。

この後夜の部もしっかりと務めを果たし(昼の部よりは余裕がありましたね)、昼の部同様に会場からの「ショモ〜ヤ〜レ〜」の声に何故か私が出てしまう!というサプライズまであり(私自身が一番サプライズ)、完全燃焼の舞台が終わりました。


・・・舞台とは、終わってしまうと実に呆気ないもの。
多くの時間をこの時のために費やしてきても、己が務めが終わったその瞬間からすでに次に向けた動きが始まる・・・
しかし、例えそうであったとしても、今日という日をみんなで作り上げたということは紛れもない事実であり、その事実は何人(なんびと)も犯すことのできない宝であり、その宝はこれから先の更なる高みを目指すためのかけがえのない糧(かて)となるでしょう。

みなさん、本当に、本当に御苦労さまでした。




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